「一月は行く、二月は逃げる、三月は去る」と申しますが、あれこれ過ごしている内に松の内も終わっておりました。村の年越しの様子をレポートしようと思います。
天満宮に鏡餅をあげるのが今年はすっかり遅くなりました。
すでに隣組の氏子の供える鏡餅が並んでいましたが、自家製のお餅は年々少なくなっています。鏡餅と一緒にお供えされている干し柿も、近年では珍しくなりつつあります。藁の縄で結えて干したもので、奥八女ならではのスタイルです。
除夜の鐘をつくお寺は、天満宮から程近くにあります。近年は鐘を鳴らしに来る門徒の方が減ったため、かつてのような盛り上がりはありませんが、私にとっては大切な元旦の儀式。柱に「正」の字を書くのは住職の役目です。ゴビーの幼なじみでもあります。
写真は撮っておりませんが、それは月のきれいな夜でした。
元旦の日が昇りましたら、家族でお雑煮をいただきます。
我が家の雑煮はカツオ出汁をベースに醤油で味をつけるスタイルで、スルメ・昆布・大根・人参・椎茸・里芋・カツオ菜が入っています。
年末から餅をついて、月を眺めて、鐘をついたから、今年はいろいろツキが回ってくる事間違いなしです。
時間が遡ってしまいましたが、昨年末の餅つきの風景です。
先程も申しましたように、奥八女でも餅つき風景は珍しくなっております。餅つきが減少していく理由は、以下のようなものでしょうか。
◆田舎においてさえ、米作り農家が減少している。
◆きれいなお餅がお店で買える。
◆臼が重いので高齢者には動かすのがたいへん。杵で餅をつく作業も重労働。
◆餅は昔は高級食材だったが、近年はそれ程ありがたいものでもなくなった。
◆蛇口や下炊事場がある土間のある住宅が減っている。
等
こう考えてみると、色々な現代なりの事情がありそうです。
餅つきは、準備と後片付けが煩雑。それに、餅米を蒸す作業一つをとってみても経験者でないと教えられない知識や技があります。出来上がるまでの様々な工程が次世代へと受け継がれて行きづらい時代になりましたが、年末の餅つき風景が来年も見られると嬉しいなと思います。
皆様もそれぞれの年越しをなさり、新年を迎えられたことと思います。
今年も初夏にはみずみずしい新茶を届けられるよう、一同精進して参ります。
皆様に幸多からん一年となりますようお祈り申し上げます。
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