私はこの巣箱に何を託そうとしているのだろう

松の木に巣箱が掛かっている様子と青空、秋の澄み切った空気。 里山の日常

今朝、庭に巣箱を掛けた。野鳥学の世界では、巣箱を掛けるのは秋もしくは冬と決まっているらしい。
実はこれまでにも二度試したことがある。一つは、冬。もう一つは秋にだった。しかし、これだけの数村を飛び回っているというのに、小鳥たちはすんなりと巣箱に入らない。彼らはどうやって季節を知るのだろう。木々の色づきは、どう見えてるの。「こんな所に」と驚かせる彼らの巣。「ほら、どうぞ」と差し出しても、住みつかない。秋や冬のピリオドは、くちばしで打つのかな。それとも、あの三本に分かれた足で打つのか。

彼らの目になりたい。ただひたすらに未知なる寒さを恐れ、遺伝子に打ち込まれた暖かい日を待ちわび、いつしか自らも気づかぬような場所に巣を掛ける。

そんな想像をする私は、私以外の者になり得ない。永遠に、瞳という名のガラスの内側から、空っぽの巣箱を見遣ることしか。

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